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初対面のラモスは僕に衝撃を与えた……うじきつよしが振り返る日本サッカーの26年

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ロックバンドのギターとボーカル

司会者やコメンテーターとしてのタレント活動

役者としても活躍している

うじきつよしは影のないキャラクターとして広く活躍している

 

そんなうじきだがワールドカップの時期になると周囲を困らせる

パッと一人で現地まで出かけてしまうので

マネジャーが大慌てするのだ

観戦歴も四半世紀を超えた

 

「昔ほど通っていない」というが

今もうじきの姿はしばしばスタジアムで目撃される

自分でチケットを買ってニコニコと座っている

そんなうじきに日本代表を振り返ってもらった

 

かつて「Jリーグ A GOGO!!」という番組があった

日本代表の試合を見始めたのは1993年からだから、そこからだと26年。当時はそのころサッカーを見始めた人を、新参者扱いというか、「お前たち、日本のサッカーのこと全然わかってないだろう」的な、そういう感じで扱うおっかない人がたくさんいたよね、まだね。

 

「何でお前がそこにいて見てるんだよ」、みたいな。あのころ日本リーグを支えていたファンというかサポーターの人たちって、異様な偏執的マニアの人が多かったから(笑)。

 

そもそもサッカーとの出会いって、1993年4月からの「Jリーグ A GOGO!!」(テレビ朝日系)っていう番組なんですよ。1993年5月にJリーグが始まるから日本サッカーをより浸透させよう、ということで始まって。

 

その司会進行はどうしたらいいかってことで、サッカーよく分かってる人間がやるとマニアックなものになっちゃうから、なるべくサッカーを知らないトーシロ(素人)がいいだろうということで僕と鈴木杏樹がよばれたんです。杏樹は非常に天然な、かわいい女性でしたよ。

 

でもこの2人だけじゃサッカーが全くわかってなかった。杏樹は、みんなで試合を見に行ったときに「サッカーって何人でやるんですか?」って言ってたぐらいだし。それで、ご意見番としてセルジオ越後とジャンルカ・トト・富樫(富樫洋一・故人)がいたんです。

 

それで杏樹が「サッカーって10人でプレーするんですか?」って言ったら、セルジオが「10人ね、もっと少なくなっちゃう時もあるのね」とか答えちゃったから、それで余計によく分からなくなっちゃって。

 

セルジオは、日本サッカーの紀元前から来て日本のサッカーを作ってきた人だから。最近はうるさがられてますけど(笑)。でもあのころのJリーガーは、みんなセルジオの「さわやかサッカー教室」に行った経験あったからね。

 

子供の時にセルジオ見るって、それこそ自分たちがギタリストのジミー・ペイジやジェフ・ベックに憧れてたみたいなもんでしょう。なんであんな技ができるんだろうって。それを見た子供がプロになってたんだけど、今はもう違うだろうな。

 

中田英寿ですらもう見てないもんな。「中田って旅人でしょう」って言われちゃったりするし。中田が活躍してたころにちゃんとテレビ見てた子って、もう結構な年だから。20歳ぐらいの子じゃ、中田がどれくらいすごかったか、ピンとこなくても不思議じゃないよ。たかだか四半世紀って言うけど、そうやって日々進んでいくんだなって。

 

セルジオはサッカーのスペシャリストだったんだけど、テレビのレギュラーで喋ったことなかったし、テレビそのものもあまり経験なかったと思うし。ジャンルカはものすごい知識は幅広いんだけど、とにかくダジャレしか言わない。とてもレギュラーの中で1番見識があると思えない。そんな4人でしたから、めちゃくちゃだったけど、面白かったけどね。

 

日本代表戦に初めて行ったのが、1994年アメリカワールドカップのアジア1次予選、1993年4月8日の神戸ユニバー記念競技場のタイ戦ですよ。初めて取材で行ってさ、選手がアップしにピッチに出てくるじゃない、それ近くで見て「あ、これが代表選手なんだ。写真で見た人だ」って思ってたんですよ。

 

そうしたら後ろのほうからモジャモジャってした人が来たわけよ。その人のことは知ってて、「こいつがラモス瑠偉か」と思ってたら、パッと寄ってきて、「もう歌ってないの?」って。そう一言だけ言ってきびすを返してピッチに向かっちゃって。

 

「あ、俺が歌ってる、バンドやってるって知ってるんだ」って。で、ラモスはもうあっち行っちゃったわけよ。それは何とも自分にとっては衝撃的でさ。

 

あの時、ラモスって実は36歳で、結構なベテランだったじゃない。で、やっぱり満身創痍っていうか、ケガと戦いながらプレーしてるという状態だったから。その時に後ろ姿見てたらさ、「俺はこうやって戦ってるのに、お前は戦ってないのか」って言われたみたいでさ。そのころはもうバンドは全く止めちゃってて、テレビの仕事ばっかりだったから。

 

そういうことを、まして初対面で言う人なんかいなかったし、それがそういう戦いの場所でしょ。なんとも言えない気持ちになったのを覚えてるな……。

 

当時の代表って、そういうハートの部分というか、そこにかけていく魂の強さみたいなもの、すごかったと思うんだよね。思い入れが強いからそう見えるのかもしれないけど。だからアップの段階からちょっとおかしいというか。

 

気迫とか、勝敗にかける情熱というのがすごかったなぁ。そのタイ戦はカズ(三浦知良)が決めて1-0で勝ったよね。タイにはGKワチャラポン・ソムチットとかいたんだよ。懐かしいなぁ。

 

それが代表観戦一発目で、もうズガーンときちゃって。「すげえなー」って。それまで自分もバンドなんかやってたせいもあって、スポーツにしろなんにしろ、自分でやって熱くなるのはわかってたんだけど、人のやってるのを見て必死に応援してるの見たら馬鹿じゃないのと思ってたわけ。

 

「関係ねーだろ、外からギャーギャー言ったって」って。そんな見方してたんだけど、まったく変わっちゃったよね。これが一緒に戦うってことなんだって。

 

それでその年、アジア最終予選を追いかけてドーハまで行ってっちゃったし。そのボルテージたるや、考えてみれば日本中が、結構そのモードだったんだよね。本当に夢のワールドカップに出るんだっていう。そのでっかい流れに乗ってたらね、いつの間にか一番波の先頭でハマってた、ド素人だったんだよね。

 

スタジアムでは若いサポーターと一緒に、現地にいる人たちに向かって「応援の仕方はこうしましょう、ああしましょう、最後にみんなでやってみましょう」とかやってたし。

 

番組のために一度ドーハから帰ってきて、仕事の合間に秋葉原へ行って、1番ちっちゃくて音が大きいトラメガを買って。そんでドーハに持ってって、サポーターに渡したんですよ。男だらけの真っ白なスタジアムでね。

 

1998年フランスワールドカップ出場を決めたジョホールバルのイラン戦のときってさ、あそこちっちゃいスタジアムだったし、来てるサポーターはほとんど日本人だったから、試合前に観客席でさ、「あっち(ゴール裏)ではこういう応援の仕方しますから、よろしくお願いします」って、みんなに言って回ってたもんね。バカだよね。何やってんの、みたいな。

 

それで出場を決めた後、サポーターがフランスワールドカップのとき何を歌おうかって考えてたから、フランス人の歌手のミッシェル・ポルナレフの「シェリーにくちづけ」を紹介したんですよ。日本人もフランス人も知ってる歌だったし。なんで、こんなすっとぼけた曲をって言われたんだけどね。

 

あれ、フランス人はちょっと笑っちゃう曲なんだよね。シェリーかわいいっていう歌なんだけど、実はゲイの歌でもあるんだよ。フランス人にとってみると、ちょっとクスって笑える歌でさ。そういうのもいいんじゃないかなと思って。

 

フランスの歌っていうと、ジョー・ダッサンの「オー・シャンゼリゼ」なんかもあるけど、そこくるとフランス人が「えっ? こんなの歌ってるの?」と不思議に思っちゃうだろって。

 

それで「シェリーにくちづけ」のメロディーに、友達でフランスのソルボンヌ大学にいた奴がいたから、ちょっと一緒に考えてよってフランス語で歌詞入れて、スタジアムで歌ったら、フランス人に受けたんだよね。

 

そう言えば、ドーハの悲劇のころに歌ってた「上を向いて歩こう」の替え歌も、途中の歌詞を付け加えたかなぁ。結構あのころ、歌うと選手がサポーターの前に来て聞いてたよね。ポイチ(森保一・現日本代表監督)とか、深々と頭を下げてさ。ちょっとグッときてる選手もいて。ポイチ、本当にくそ真面目というか、今に続いてるよなぁ。

 

ドーハじゃサポーターの数が圧倒的に少なかったし、そもそも中東に行く人数も少なかった。海外に日本代表を応援しに行く文化が定着する前の状態だったから、まだまだサポーターが直接選手たちと触れ合える近さがあったし。

 

それにラモスに代表されるようなあの場にいた選手、カズにしてもそうなんだけど、そこに行くまでの道のりの中で、サッカーがド・マイナーな時代を味わってるわけじゃない。サッカー選手でメシを食っていけるかどうかっていう。そういうのを背負って世界に出て行くんだっていう。

 

だからもしかするとテクニカルな部分ではまだまだだったのかもしれないけど、スピリットの部分ではものすごく強いものがあったんじゃないかなって。大きなものに向かっていう力があったように思うよね。

 

ドーハ組は監督の世代になっちゃったし、すごくたくさんの代表選手が今、指導者になってチームを率いてるし。みんないい歳だけど、まだ最前線で頑張ってるじゃない。そういうのを見ると、やっぱり当時の情熱というか、そのへんはそのまま生きてるんだなって。

 

あとやっぱりさ、日本もこの四半世紀で驚くほど下部組織というか、子供時代の育成の仕方が変わってきたじゃない。小学校の段階から海外に行っちゃう子も出てきちゃったりしてね。実はものすごい数、海外に出てたりするし。

 

国内でもジュニアの世代からピックアップされて英才教育されてるよね。そういうの見ると、迷いなくサッカーの道に進めるというか。才能のある子たちは、余計なことというか、脇道、無駄なことをせずに特化してやっていけるようになってきたから。苦労が無いわけじゃないだろうけど、エリートっぽくはなってるかなって。

 

そのかわり要求される結果はものすごく大きいじゃない。ダメだったら、たとえ10代であってもボロクソに言われるから。この四半世紀の間に雑草軍団だった代表からエリート集団になって。

 

堂安律とか見ていると、本当によどみがないからね。あの歳であれくらい気持ちよく100パーセントサッカーできてたら、そりゃ最高だろうなって。もうなんか、息子というより孫を見ているような気持ちです(笑)。日本のサッカーもここまで来たかって。

 

この前のワールドカップも、まぁあそこまでやってくれるとは思わなかったけど、普通に世界と勝ったり負けたりできるようになってきたじゃない。そりゃ上を見たらキリがないけど、やっぱり実績として出たよね。この前のワールドカップで。

 

ベルギーにやられちゃったところなんかは、こういうことなんだって妙に納得したりしたけど、この経験があればド突き合いみたいになったときもやれるんだなって見えてきたじゃない。

 

なんか、Jリーグ100年構想とかいってさ、次に日本がワールドカップ開催して優勝するって、バカじゃないのと思ってたけど(笑)、意外と、そんな夢も見られなくもないのかなって。それはかなり変わってきたよね。

 

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W杯の時期は「番組ありますけど僕は行きますから」

2006年ドイツワールドカップのころまでは、「その時期、スケジュールちょっとゆるめで」って仕事してたんだけど、とんでもないよね。結局ワールドカップにはフルで行ってたんだけど、日本と3回行ったり来たりしましたよ。

 

当時、「サンデープロジェクト」(テレビ朝日系)という日曜の朝の、田原総一朗さんがやってるニュース番組の司会をやってたわけですよ。本当に場違いな。

 

ワールドカップの時期が来たから「番組ありますけど僕は行きますから」って正直に言ったんです。ここまでで番組降りても構わないからって。そうしたら、そこまで言うんだったらニュースになるから向こうから映像を出そうって、2回出ましたよ。

 

あのときって、日本代表選手村みたいなの作ったでしょ、その取材というか紹介しようって。最初は開幕前だったらえらい元気よかったんだけど、2回目はオーストラリアに負けた後だったからボロボロだったし、態度悪いし。

 

「ホントに、大きな番狂わせを自ら起こしてしまいました」って。田原さんが笑ってましたよ。「うじきさん、あんた、自分がやってるみたいに言うよね」って。「気持ちは一緒ですよ」「もう帰ってきたら?」「いやです」ってやり取りもあって。

 

ホントね、期待してた分、ショックだったけどね。あんな感じ(1分2敗)になっちゃって。そのころにクロスして、スカパー! でチャンピオンズリーグの番組をやり始めたんです。ドイツで失意のどん底になった後だったから、そこからヨーロッパの試合を見る比率が増えちゃって。もちろん代表戦にはポイント、ポイントでは行くけど、前みたいには追っかけなくなっちゃった。

 

それでもワールドカップは2010年南アフリカまで現場に行きましたけどね。2010年は開催前に行って、スタジアムを見て、それでポルトガルのプレマッチを見て日本に帰ってきたんだよね。

 

当時スカパー! の「ワールドカップニュース」っていう番組を日本でやってたから、それで向こうの状況を見て帰って来るみたいな感じだったんで。だから現地で日本戦を見てないんだよね。

 

で、その次の2014年ブラジルワールドカップは、大会前からもうすでに悪い予感がしてて。行ってまたドイツの落胆を味わうにしては場所も遠いし、歳も歳だから立ち直れないかもしれないと思って行かなかった。はぁ、行かなくてよかったなと思って。

 

で、2018年ロシアワールドカップはね、大会前にサンクトペテルブルクで新しいスタジアムができてるの見に行ったりしたんですよ。プライベートで。でも、やっぱり試合に行くのは止めとこうと思って。ここでコテンパンにやられるの見るのイヤだって思ったわけ。行っとくんだった。

 

あのコロンビア戦はいくら日本が強くなってきたとは言え、未来永劫もう見られないかもねって。ブラジルでやられてたからね。あの切れ具合はすごかったね。前半のね。

 

それで2022年カタールワールドカップはちょっとね、行こうかなって思ってるんですよ。やっぱりドーハには行こうかなって。マネジャーからは諦められてますよ。でも最近は青い服を着ていかないんだけどね。メインの席でデカい声出して見てたら周りの人がびっくりしちゃうから。昔はおかしいくらい叫んでたけど。

 

今後、世界情勢はよりへんてこりんになっていくと思うから、そういうときサッカーのワールドカップにできる役割があればいいよね。平和につながるようなね。そういうタイミングの中東開催かもしれないよね。

 

予選もね、各国のレベルは上がってるし、日本は研究されてるでしょ。日本はワールドカップに行けて当たり前って思ってる節があるけど、そういう油断が失敗につながらないようにしないと。でも行ったら結果を出さないと。日本ってそういう立ち位置にいるよね。

 

まぁサッカーだから負けるときは負けるからね(笑)。前はね。ホント負けるのはイヤだった。負けると、地球の最後かってくらい数日ガッカリしてたけどね。ドイツのときはかなりの期間立ち直れなかったけど、そこは変わったな。

 

あ、負けることもあるねって、そういうサッカーのレベルに日本はなってきたということでね。そういう楽しみ方ができるようになってきたかな。でも本当に今の日本代表はいいサッカーしてるよ。すごくやりたいサッカーが見ててわかるというのは気持ちいいよね。

 

J3の試合を見に行っても面白いものは面白い

チャンピオンズリーグの番組をやってたときって、ヨーロッパに試合を見に行くじゃないですか、そうすると、一応「チャンピオンズリーグ・ハイライト」を日本でやってると申請するんです。

 

各国のハイライト番組ってオフィシャルのヤツはそれぞれの国に1つだから。そこのMCって待遇が非常にいいわけですよ。イギリスだとリネカーだったりとか超一流の選手が引退された方がMCをやったり解説をやったりしてるんですけど、俺なんか選手でも何でもないじゃないですか。だから向こうは大体、「コイツ誰なんだ」っていぶかるわけですよ。この人知らないなって。

 

それでもまぁ、ちゃんとやっぱりそれなりの待遇をしてもらえてたんです。だからマンチェスター・ユナイテッドのグループリーグの試合が、たまたまスケジュールが合ったんで、申請して1人で行ったんですよ。スタッフは抜きで。

 

で、そこに一緒にいたのがボビー・チャールトンで。ずっとお話ししながら試合見てました。「考えてみりゃボビーさん。アメリカワールドカップで会いましたね」なんて言いながらね。そういう経験もさせてもらいましたね。

 

それでJリーグは、チャンピオンズリーグと比べるとすべてがスローモーションに見えちゃって、これじゃダメだと偉そうなことを思ってたんですよ。ちょっと前はね。

 

でもここ数年Jリーグ見ると、結構J1なんかでも、力がすごく拮抗してきてて、正直、どこが勝ってもおかしくない状況になってきたら、やっぱりだいぶ変わったね。90分戦うからね。それはすごいと思って。

 

それからサッカーがすごく定着してる。本当に鹿島なんかは、行く度に少しずつ改良されてて、貫禄のスタジアムだし。今だったら規模が大きい方じゃないんだけどね。豊田スタジアムなんかのほうがでかいのにね。でも鹿島は味があるよね。

 

カシマスタジアムの近くに民間の駐車場があるじゃない。車停めるとさ「お茶飲んでけよ」とか言われたこともあってさ。浦和もそうだよね。埼玉スタジアムも土手の裏で止めさせてくれるところがありますからね。

 

あとはJ2、J3も面白いよね。財政面とかいろんなことで頑張んなきゃいけないとか。そこにベテランのいいプレーヤーが入ったりして、チームが変わったりするのもあって。やっぱりJリーグって、世界のリーグの中で見てもかなり独特なキャラクターになったし、この5年ぐらいでぐっとレベルの密度が上がってる気がするんだよね。

 

だから、意外とJ3の試合を見に行っても面白いものは面白いし。2018年にバンちゃん(播戸竜二)がFC琉球に入ったとき、見に行ったら面白いんだよね。沖縄っつっても那覇市と沖縄市でちょっと文化圏が違ったりして、なかなか那覇から人が来てくれないというのがあったりして。そういうのをどう解決しようかって模索してましたよ。

 

で、戦ったら結構強くて。要所にバンちゃんみたいなベテランが入ると、そういう「聴かせ所」というか、そういうところがあったりして。やっぱりすごいな、この変化はって。久々にJのルーツ見たって感じで。今年になっても、「本当に勝っちゃうの?」って。

 

琉球は専用の練習場を持ってないんでいろんなところを借りてやってるわけですよ。でも海沿いのきれいな芝が生えてるところでノビノビと練習してて、ロッカールームなんてなくて、表のシャワーで浴びてっていうオープンなところでね。

 

考えてみれば南米とかこんな感じに近いんじゃないかなって。ローカリティ(地域性)みたいなのがあって、こういうのもありなんだなって。ともすれば、Jリーグって、設備がどうでってなっちゃうじゃない。そうじゃないくて、こういうところから勝っちゃうのが、またなんか、こう、スタートアップというか、原点を見るような感じで楽しかったですね。

 

Jリーグも自分でチケット買って行ってるけど、スタジアム行くと知らない人から「まだ来てるんですか?」って言われたりしててね(笑)。「報道陣として入ってミックスゾーンに来たらいい」と言ってもらうんだけど、行ったらめちゃくちゃになっちゃうけどね。中途半端な解説で。わかってないのに(笑)。

 

実は一番遅れてるは地上波や大手マスコミという状況

Jリーグの番組も少なくなっちゃったし、DAZNの独占になったから、スカパー! とか地上波でチャンピオンズリーグの番組もなくなっちゃったからね。Jリーグの中継も、DAZN以外はときどきNHKとか地方局とかでやるくらいだし。その割には、ファンは根強く頑張ってるよね。

 

自転車もずっと好きだったんで、自転車の番組やるようになって、いろんなイベントとかレースに出かけるようになったんだけど、今のサッカーの放送って自転車に似たところがあって。

 

自転車番組って、そもそもほぼないし、あんまりマスコミで取り上げられることもなくて、日本の選手がヨーロッパで出てるレースとかもJスポーツとかじゃないと見られなかったりするけどね。でも確実に、自分がエントリーして参加する方たちって、ものすごい増えてるし、根付いてる。

 

だから実は、一番遅れてるってのは地上波だったり大手のマスコミだったりとかかなって。昨今自転車なんてもっと取り上げたら、実際レースとかしてても面白いし、見所たくさんあるしね。

 

サッカーも大きく取り上げられるようになったから「実は俺やってたんです」とか、「実は好きで」って打ち明けるミュージシャンのヤツが結構いたよ。東京スカパラダイスオーケストラの川上つよし君はすごいファンだし。あとはMC GAKUちゃん、Mr.Childrenの桜井和寿君とかね。

 

桜井君はサッカーやってたわけじゃないんだってね。あんなにうまいのに。ものすごい練習してるらしいよ。すごい好きみたい。スカパー! のスタッフゲームに、ときどき普通に参加して、ものすごい距離走ってるの見て、「ん? 誰だあれ? え? 桜井君?」って。真剣にやってるよ。僕は今、サイドライン2回掛け上がったら出るね。外に。

 

みんな見た目で判断するからさ、結構やれるんじゃないかって勘違いしてくれるんだけどさ、やったらボロクソですよ。走るのは走るのよ。ボール来るじゃない、そのあとはどうにもならないよね。どうしようかって。

 

一応、なんていうの、戦術的なことは頭でっかちでかじってるから、すぐ裏に出ようとしたりとか、パスを通そうみたいなことを考えるわけ。フットサルとかやってると迷惑がられるタイプだよね。

 

「いいから、前に蹴ってくれ」って言われちゃう。全然ダメ。フットサルも10分しか持たないな。自ら出るもん。キツいんだよ。フットサルってフルコートよりキツいから。フルコートって反対側にボールあるとき、サボってられるから。

 

ただ下手だけど、好きだよ。でも徐々に呼ばれなくなるんだよ。下手だから(笑)。

 

生まれ育った世田谷・下北沢のオススメ店

もともと生まれたのは世田谷なんですよ。祖師ヶ谷大蔵で生まれて、10代の中学、高校あたりって下北沢でバンドマンのすごい人たちが一杯いたから、遊びに来てたんですよ。年取って食いしん坊になってきたからかもしれないけど、その下北沢で最近発見したお店があって。「namida」っていう、新しいとこじゃないんだけど、創作和食のお店なんですよ。

 

パッと目に入ると「大丈夫かコイツ?」ってくらいシルバーブロンドの、九州出身でえらい若手のお兄ちゃんがやってるんですけど。その日の食材でおいしいものを食べさせてくれて、しかもすごいリーズナブルで。だけどお勧めの料理って言えないんですよ。その日の食材で出してくれるから。

 

あとは下北沢と言えばカレーじゃないですか。「Mikazuki Curry SAMURAI.」っていうところがあって、ここは最近なんだか知らないけど、中国の人とか海外の人が詰めかけてくるんです。すごい行列になっちゃってる。

 

優しいルーカレーでおいしいですね。そこだとお勧めは、限定なのかもしれないけど、海老のエキスを抽出して、普通のチキンカレーにそのエキスをプラスしてる「海老カレー」ってのがあるんです。それに野菜を大盛りにしてもらって食べるとおいしいですよ。

 

飲むんじゃなくて、ご飯だけ食べたいってときに一番いいのが、「とんかつ とん水」っていうお父さんとお母さんでやってる定食屋さんがあるんです。ここはすばらしいですね。メッチャクチャリーズナブルで。だいたい600円から800円ぐらい。

 

それで鯖定食とか食えちゃう。すごいお父さんの手作り感満載で。店舗は移ったんですよ。下北沢一番街の古い日本家屋の一階でずっとやってたんですけど、そこが立ち退きになっちゃって。

 

みんなで「なくなっちゃうのかな?」って心配してたら、近所のビルのちょっと半地下に店を移して続けてくれて。ここはいいですよ。ここは週1回しか休みがなくてやってて。夜の9時とか10時とかでもちゃんとご飯が食べられるので、独り者の味方です。お母さんがいろいろ話とかしてくれるし。そういうの、いいよね。

namida
〒155-0031 東京都世田谷区北沢2-28-7 エルフェアシティ2 1F
7,000円(平均)

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うじきつよし プロフィール

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80年代は子供ばんどのヴォーカル兼ギターとして活動。1988年に活動停止すると、以降は俳優やタレントとして数多くの番組に出演する。1993年の「Jリーグ A GOGO!!」出演をきっかけに芸能界屈指のサッカーファンに。2011年以降は再結成した子供ばんどでも活動している。

1957年生まれ、東京都出身

 

 

 

 

 

 

取材・文:森雅史(もり・まさふみ)

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佐賀県有田町生まれ、久留米大学附設高校、上智大学出身。多くのサッカー誌編集に関わり、2009年本格的に独立。日本代表の取材で海外に毎年飛んでおり、2011年にはフリーランスのジャーナリストとしては1人だけ朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の日本戦取材を許された。Jリーグ公認の登録フリーランス記者、日本蹴球合同会社代表。

 

 

 

 

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