千歳烏山の「赤錆ホテル」という店に、編集者男と編集者女と編集者先輩と集まった。
まずはビールで乾杯だ。編集者先輩が口を開く。
「このたびは、ご退院おめでとうございます」
コップに注がれた生ビールを飲む。うまい。
「お酒はいつから」
「一昨日、初めて飲んだ。おいしかったけど、今日のほうがおいしいね」
みんな笑う。なんでビールがおいしいだけで笑うんだか、わからないがボクも笑ってしまった。
ビールの香りがいい。しばらく飲まないでいると、ビールの香りがわかる。飲んだあと口の中から鼻に抜ける香りが、確かに麦っぽい。追っかけてくる味も、三週間前まで毎日飲んでいた時より、くっきりしている。やっぱり惰性で飲んでるような酒はダメだな。
一昨日夕食の時飲んだのは、ベトナム料理店でのベトナムビール。嫌いではないが、この時は正直、それほどおいしいと思わなかった。病院帰りだったからか、ベトナムだったからか。
やはり日本のビールが好きだ。と、言いたくなる。しっくりくるおいしさだった。
今日は昼間、30分ほど散歩した。だからよけいウマイのかもしれない。
三週間の入院。その間、お酒を一滴も飲まなかったからオイシイ!
この一月、正月明けの五日から三週間、仕事を休んだ。
その間、一滴の酒も飲まなかった。不思議なことに、飲みたいとも思わなかった。
三週間酒を飲まないなんて、いつ以来だろう。ひょっとしたら、二十代半ばから、初めてではないか。イスラム圏の人から見たら、完全なアル中だろう。
でも、おいしいと思ってグラスを空けたら、もう三週間の隔たりは埋まってしまった。
三週間は、入院していたのだ。
心臓のちょっとした手術のためだ。
心臓の手術なんていうと、かなり大ごと感があるが、命に関わるほどのものではない。
「大動脈弁閉鎖不全症」の手術。
術式は「大動脈弁置換術」という。
要するに、心臓の、動脈の弁が、キッチリ閉まらなくなっていた。
そのせいで、心臓から出て行った血が、何割か逆流していた。
すると、心臓に新たに入ってくる血と、逆流してきた血がぶつかって、心臓に負担がかかる。
これが長年続くと、心臓が肥大してくる。これは心不全などにつながる。心不全は命に関わる。よろしくない。そりゃそうだ。
そういうわけで、不具合のある弁を、新たな弁に取り替えたのだ。
「今日は、クスミさんのご希望を伝えて、野菜中心の料理をお願いしました」
編集者女が言った。エライ。この女、酒のダンドリだけは、抜かりがない。
最初に出てきたのはカブの煮物だった。丸ごと酒粕で煮てある。おいしい。
カブも大人になるほど好きになった野菜だ。子供の頃はなんだか地味に思えた。
カブは、ぬか漬けが一番好きだ。葉っぱのぬか漬けも、本体に負けずウマイ。
できたてのカブの味噌汁も、おいしい。煮込まぬ、できたてが歯ざわりがいい。
「赤錆ホテル」という奇妙な名前のこの店は、基本お任せ料理で、小さな料理が一つずつ出てくる。これが全部おいしくて、ちょっと工夫のある料理センスがいい。
心臓の不具合宣告から6年。ようやく手術に踏み切ったんです
心臓の不具合がわかったのは、6年前になる。
肋骨を折って病院に運ばれた時、検査で「心臓にノイズがありますね」と言われたのが最初だ。
心臓のノイズ、という言葉で、すぐArt of Noiseというバンドを思い出した。学生の頃よく聴いた、80年代イギリスの先鋭的エレクトリックバンド。
Heart of Noise。そういうエレクトリックミュージックを作ろうか。と思った。
呑気なものだ。自覚症状がゼロだし、ほんとになんとも思わなかった。医師もきっと深刻には話さなかったんだと思う。
そのノイズが、弁の不全による血液の逆流音で、手術の必要があることを知ったのは、肋骨骨折のすぐ後の、人間ドックの時だ。
担当医は、過去に心臓の手術を数多くこなしてきた老医師だった。彼はすぐに、
「いずれ手術することになるでしょう。どうですか、今のうちにやってしまったら」
と言った。
え。心臓がギクリとした。
「簡単にいうと、心臓の弁を取って、人工弁に取り替えるんです」
ちょっと、待って。それは穏やかな話ではないぞ。
「手術は今やポピュラーなもので、子供からお年寄りまでやっています。2、3時間で終わるもので、開胸もしません」
と微笑む。ポピュラー。そういう時使う言葉か?
だが、さすがに暗いショックがさざ波のように広がる。
心臓の弁を、取る。
取って、人工弁に付け替える。
人工弁。手術。2、3時間。
開胸。は、しない。
ひとつひとつの言葉が、丸腰の肉体に、敵陣からの透き通った矢のように降り注ぐ。
視力も落ちるし、体力も落ちた。顔にも首にもからだにも、しわやたるみが増え、歳には勝てない、と酒場で笑ったりはしていたが、今やその笑いは凍結した。
「いずれ心臓の手術で、人工弁に交換」
いずれ、という刀が、鼻先に突きつけられている。
とは言え、未だにまったく自覚症状は無いのだ。
心臓が以前に比べてドキドキするようになったとか、胸が痛いとか、階段を上ると苦しいとか、そういう肉体の変化を感じたことは無い。
肋骨を折った時も、ノイズと言われ、自分の心臓の音を聴診器で聞かされたが、イマイチわからなかった。
ドックの医師は続けて、
「ただ場所が心臓なだけに、前後の検査などを考えると、一ヶ月近くは仕事を休まなければなりません。だから前々から計画しないといけませんねぇ」
と言った。
一ヶ月か。確かに仕事のことを考えたら、すぐにはできない。
白菜スープに冷や酒があう。やさしい和食に“帰ってきた”と実感
赤錆ホテルでは、白菜のスープ仕立てが出た。ゆずの千切りが載せてある。
上品で、歯ざわりがおいしく、でもコクもある。思わず顔がほころぶ。
こういうものが好きになったなぁ。じじいである。
ビールは冷や酒に変わっている。編集者女がお猪口に注いでくれる。
手術後、初めての日本酒だ。
ついっ、と半分、呑む。
うまい。おいしい酒だ。
酒の味では、やっぱり日本酒が一番好きだ。
でも日本酒は、肴を選ぶ。店を選ぶ。呑む相手を選ぶ。
だから一番好きな酒だけど、いつもは飲まない。
6年前、人間ドックの老医師は、言った。
「今すぐに手術できなくても、できたら定期的に心臓の検査を受けてください。普段、あんまり激しい運動はしませんよね?フルマラソンとか、猛ダッシュとか」
「はあ、してませんが」
「手術自体は、先ほど申したように難しくないです。術後も、落ち着いたら、今までと変わらずに運動もできます。むしろ楽になるはずです。ただ……」
ただ?
こういう時の「ただ……」はコワイ。思わず身構える。
「この手術をしたら、薬を飲み続けなければならないんです。それがちょっと面倒ですね」
「クスリ」
「ええ、これはもうずっと飲み続けないとならんです」
「ずっと」
「ええ。人工弁のための、血液が固まらないようにするワーファリンという薬で、これを一生飲み続けなければなりません。これがちょっと面倒ですね」
「一生ですか!」
「そうですね。それと、この薬を飲むと、食べてはいけないものがいろいろと出てくるんです。例えば、納豆」
「納豆?」
これはものすごく意外だった。納豆が、一生食べられない。
「納豆、お好きですか」
「好きです」
「ああ、そうですか。それは残念ですねぇ。あと、アスパラとか」
「アスパラ!」
納豆からの飛躍があまりに意外。
「まあ、それを食べたら死ぬとか、そういうんじゃないですし、そんなに一度に食べなければ大丈夫なんですが。まぁ、そういうこともあるで、よく考えていただいて、年に一度くらいは検査には来てください」
そうかぁ、納豆とアスパラが食べられなくなるのか。
まあ、そのくらい仕方ない。子供の頃から納豆は食べてきた。大好きだから、残念だけど、他にいくらでも食べるものはある。
魚のフライが運ばれてきた。
これがまたものすごくおいしい。なんの魚だろう。
ころものサクサクと、白身の微妙な歯ごたえが絶妙。熱いこれが、冷や酒をまた一段と引き立てる。
「いい店ですね」
初めてこの店に来た編集者男が言った。
ボクは三度目だ。でも、ここの店主が下北沢で違う名前でやって来た店の時代から、来ている。弟に教えてもらった。そうだ、前回のこの連載で、竹中直人さんと行った、と書いたのは、ここの前身だ。
全然気取ってない内装と、おいしい肴がこの店の魅力だ。しかも安い。
初めて心臓手術の必要を聞かされた帰り道は、
『うーん、心臓から来たかぁ』
と思わずうつむいて歩いていた。
まさかの場所から、自分の寿命の一本道が見えてしまった心地だった。
少し前に、右目の白内障も発覚していて、すでに手術の日取りも決まっていた。
眼と心臓が同時に来たのも、重い気持ちにさせられた。
でも白内障の手術が終わると、心臓のことも、だんだん忘れていった。
何しろ自覚がないのだ。どうしても具合が悪いと思えない。
大声を出すようなライヴもやっていたが、なんの支障もなかった。
ただ、次の夏から、大好きだった夏のプール通いはやめた。
心臓を無駄にいじめたくないと、思うようになっていた。
夏が好きで、猛暑の昼、屋外の市民プールで泳ぐのが何よりの楽しみだった。
だからそれは、かなりさびしかった。
「でも、病院に行った時は、思った以上にお元気そうで、正直驚きました」
と言って、編集者先輩が盃をクイッと開けた。
日本酒のペースがみなさん早い。ボクは病み上がりを自覚して、ちびちび飲んでいる。
今日集まった三人で、入院中にお見舞いにきてくれたのだ。
病室は個室で、南向きの四階で明るく、一人には広く、室内にトイレもあり、実に快適だった。
医師も看護師も若い人が多く、快活で性格もみな明るかった。
起床は6時。だがもっと早く目が覚めた。窓からよく夜明けを見た。
体重を計り、血圧を取って、記録する。
朝ごはんは遅めで8時。
三食きちんと食べて、夜は消灯は9時。
まあ、その後も起きてはいたが、12時前には眠った。
「手術のあとは、力んじゃいけないんだ。心臓のために。トイレでも、大をするのに力んではいけない」
「ははは、そうなんですか」
「胸にセンサーが付いてて、心拍数はワイアレスで、ナースステーションに伝わるの。それで、一回トイレで力んでたら、ナースがやってきて『大丈夫ですかぁ』って。トイレに座ってて、恥ずかしかった。バレた。あ、クスミさんウンコで力んだなって」
ルッコラと新玉ねぎのおひたしで、盃を開けながらする話ではない。
6年前人間ドックでショックを受けたものの、結局毎年の検査もしないまま、去年、5年ぶりに人間ドッグを受けた。
そして、やっぱりそこを突かれた。
レントゲン画像を見た女医さんが、前回のカルテと合わせ見て、
「うーん、心臓が大きくなっているように見えますねえ」
と言った。そうか。
「そろそろ思い切って手術したらいかがですか。少しでも若い時の方が、手術によるからだへの負担が少ないので」
「そうですか」
ボクは、もうショックは無かった。
5年という月日が、ボクをゆっくり観念させていた。ボクの心は、己の肉体の不具合という現実を、すっかり受け入れていた。その時が来たら、抵抗はしない。怖くもない。
先延ばしは、もう嫌だ。
手術、する。すぐする。
それが、去年の10月だ。
だが、すでにいろんなスケジュールが入っていたので「来年の2月にしよう」と思った。
それから、手術する心臓の専門病院を探した。
そして今回世話になった病院を、知り合いに教えてもらった。
すぐ病院のサイトにメールして、検査の日取りを決めた。
そして検査をして、結果を見ながら院長と話せた。非常に丁寧な説明だった。
「血液は約40%も逆流していて、心臓もかなり肥大しています。自覚症状がないのが不思議なくらいです」
そして、検査結果のプリントアウトに、いろいろな数値の問題点を、赤鉛筆で線を引きながら解説してくれた。
血液が逆流している動画を見せられた時は「うわぁ」と思い、
「はいはいわかりましたもういいからすぐやっちゃってください」
とは言わなかったが、そういう気持ちになった。
人工弁か生体弁の牛か豚か、で迷っちゃうよなぁ
院長の説明は、手短かで穏やかで、手術に対する怖さや不安は何も生まれなかった。
弁の交換には、3種類の方法があり、どれで行きますか、と問われた。
(1)人工弁に換える。これは機械弁ともいう。前に聞いた通り、一度これにしたら、一生薬を飲み続けなければならない。納豆など食べるのを避けるべき食物がいろいろできる。でも人工弁は、まず一生壊れることはない。
(2)生体弁に替える。牛か豚の心臓膜を使って作られた弁との交換。これは、術後に薬を飲まなくてよい。これは大きい。だが人工弁と違って、10年から15年で劣化し、再交換の必要が出る可能性が高い。つまり70か75歳でまた手術だ。
(3)自分の血管の壁を使って、弁を形成する。弁形成ともいう。これも薬を飲む必要は無い。自分の体だから、他の弁では稀にある感染症の心配もない。ただし、手術は開胸、すなわち肋骨を胸の真ん中で切り開いて行うので、回復に2ヶ月ほどかかることと、これも比較的新しい手術なので術後15年以上のデータが少ない。
じゃあ(1)か(2)だ。
ボクは、すぐ(2)の生体弁を希望した。迷いはなかった。
院長も、少し笑って、
「ボクがクスミさんなら、生体弁にします」
と笑った。
「仕事がら、いろんなものを食べなければならないでしょう?」
という。院長さんはボクの仕事を知っていた。
納豆は、血液を凝固させない薬・ワーファリンの効力を無くすんだそうだ。
他には、クロレラと青汁もダメです。と言われた。アスパラは出てこなかった。
でも後で、ワーファリン手帳をもらったら、要するにビタミンKが含まれる食べ物は、大量摂取しないようにとのことだった。ビタミンKはかなりいろんなものに、含まれていた。緑黄色野菜にも意外に多い。面倒くさい。
でも納豆は腸内でビタミンKを生成するとかで、とにかくダメみたいだ。
よし、ワーファリンいらずの生体弁に交換だ!どうせなら豚がいい。マンガ家だから、面白い方がいい。
牛より豚。豚人間になりたい。
なんだか嬉しくなってきた。からだの奥から、元気と力が湧いてくるようだった。
やっぱりボクは、面白いことが好きなんだと思った。
面白い、ということに生命力をもらっている。
涙とか感動とか尊敬とか畏怖とかより、面白いと元気が出る。
豚人間。60歳から豚人間。
楽しい。いいぞいいぞ。
豚のように、ではなく、もろに豚なところがいい。いや、部分豚だけど。
豚としての俺。豚としての考え。
豚としての人生。いや、豚生。
豚が旅して、豚が見て、豚が描いたマンガ。
豚による作詞作曲と、歌唱。
仕事のあと、豚として飲む酒。
豚酒の豚酔いで、豚寝。ぶたた寝。ちょっとそれはやだな。
「手術はいつ頃をお考えですか?」
説明を終えた院長は言った。
ボクが2月を考えていますというと、院長は、穏やかながら、きっぱりと
「1月の正月明けにどうですか。早ければ早いほどいいですよ。心臓がもうこの状態ですから」
と言った。ボクは「ではそうします」と即答した。
その晩、ボクは1月と2月の予定を、全部キャンセルした。
そして、1月の分の連載仕事を、11月と12月に全部終わせることにした。
ライヴも旅仕事もたくさん入っていたから、2018年最後の2ヶ月は日本中を飛び回りながら仕事している感じだった。
それでも、その間、心臓に違和感は、全くなかった。
そして今年、いよいよ入院して、手術前のあらゆる検査が終わり、手術の執刀医と面接した時、最後にボクは聞きそびれていたことを聞いた。
「ところで、ボクの生体弁て、豚と牛のどちらのなんですか?」
「牛です」
あっさり言われた。
牛。
牛ですか。そうか。豚じゃないのかぁ。
だが、ショックというより、その瞬間から、急速に牛に親近感が湧いてくるから、人間は面白い。
牛もいいじゃないか。
これからの人生、面白かったことばかり反芻して、ゆっくり生きていこう。
「ちょっと人間のトイレに行ってきます」
と、ボクは席を立った。赤錆ホテルの宴はまだ続いている。
P.S
この原稿を書き終わった直後、あのローリングストーンズのミック・ジャガー(75)が心臓弁の手術をするという記事を読んだ。
おー、ミック、そうか、兄弟だな。
ところで、キミはブタかい?それとも牛?
"Pork or beef?"
なんだか飛行機の機内食みたいだ。Beef,please
紹介したお店
営業時間18:00~翌1:00
定休日・月曜日(日曜営業)
※掲載された情報は、取材時点のものであり、変更されている可能性があります。
著者プロフィール
文・写真・イラスト:久住昌之
漫画家・音楽家。
1958年東京都三鷹市出身。'81年、泉晴紀とのコンビ「泉昌之」として漫画誌『ガロ』デビュー。以後、旺盛な漫画執筆・原作、デザイナー、ミュージシャンとしての活動を続ける。主な作品に「かっこいいスキヤキ」(泉昌之名義)、「タキモトの世界」、「孤独のグルメ」(原作/画・谷口ジロー)「花のズボラ飯」他、著書多数。最新刊は『ニッポン線路つたい歩き』。