江戸時代に誕生した「握り寿司」は、今より格段に大きなものだった。現在、寿司を1ネタ注文すると2個ずつ出されるのは、当時の大きな1個を2つに分けた名残とされる。
そんな江戸時代サイズの寿司「田舎寿司」が、今も一般的に提供されている土地がある。
しかしどのくらい大きいのだろうか? この目で確かめるために、僕は東京から鈍行列車で房総半島へ向かった。
4万人の街に40店! 寿司の街・館山
館山の海は、栄養分の豊富な親潮と温暖な黒潮がぶつかることによって大量のプランクトンが発生し、好漁場となっている。
それもあって館山は「寿司の街」として知られ、人口4万人の街に今や40もの寿司店が軒を連ねる。
これから向かうのは、南房総で最大級の港・船形漁港のほど近くにある「茂八寿司」だ。
駅に着くと、雨が降っていた。しかし、駅前にコンビニや売店の類いはない。雨から逃れるように早歩きで道を急ぎ、途中のスーパーで380円のビニール傘を購入して、ひとまず安堵する。
そして、今日の目的地が見えてきた。
創業は江戸時代末期と言われ、館山でも最も歴史のある店。御年87歳の7代目と、その息子の8代目がのれんを守っている。
市内のいくつかの店で「田舎寿司」は提供されているが、ここは代表的な店だ。
1個がおにぎり大のサイズ
そしてしばし待ったあと、寿司が到着。思わず「うおっ!」とのうなり声を上げてしまった。
あまりにも……大きい。寿司をのせた「寿司げた」が、妙に小さく見える。
お吸い物の器まで小さく見えるほど。これはふつうの寿司の2倍ではきかない。ゆうに3倍以上はある。それゆえ、腹を極限までに空かせた地元の漁師たちに愛されたそうだ。
ネタは朝に市場へあがったものを豊富に使っていて、新鮮そのもの。
普通サイズの寿司と並べると、同じ寿司なのに別物のよう。同じネコ科でも、猫とトラが違う生き物なのを思い出した。
ちなみに茂八寿司では、一般的なサイズの寿司をにぎることはない。「大きさを比較したいので、普通サイズの寿司も握ってください」と頼んだときは、どんなサイズで握ればいいのかも見当がつかなかったという。
なにかの冗談のような大きさ
この寿司は、箸で食べるには大きすぎる。手のひらに乗せて食べていこう。
……僕の手が小さくなったかのよう。
おまけにガリまで山盛りだ。
なにかの冗談のような大きさだ。しかし食べてみると、たしかに寿司としてちゃんとウマい。これはれっきとした寿司であり、我々が知る一般的なサイズの握り寿司より先にあったものなのだ。
「田舎寿司は昔から大きさやスタイルはそのままです。新たに生エビやいくらが入るなどのマイナーチェンジはありましたが、昭和40年代ごろから今のネタになってからはあまり変わっていません」(8代目店主・磯邊博昭さん、以下同)
ネタもデカいが、シャリはそれ以上のとてつもない大きさ。通常なら寿司を食べる際、僕らは無意識に口の中でネタとシャリのバランスを整えながら噛み潰している。しかし今回は、そういった口の動きがおぼつかなくなるほどだ。
「館山の寿司はボリュームがあるってことを、実は館山を出る前はわかりませんでした(笑)。昔は回転寿司もなく、よその寿司を知らないまま高校まで過ごしたので」
この館山でおいしいのがアジ。それを使って茂八寿司で長らく提供されているのが、名物・アジの姿寿司である。
アジを酢で洗い、1匹ずつ胸びれと骨をぬき、さらにかめ酢に漬け込む。その後、今度は甘酢にひたし、頃合いを見計ってひきあげるといった、全部で4日あまりの行程をかけて完成。
昭和30年代ごろまでは、電気で動く冷蔵庫はなかった。そのため、日持ちしないアジはすぐに加工する必要があったとのこと。当時の食習慣をしのぶ一品というわけだ。
頭からガブッと噛みつく。これほどまでに“命をいただいている感”が高ぶる寿司は……はじめて。
それにしても、この田舎寿司。にぎり寿司というよりも、おにぎりぐらいのサイズだ。1個1個食べるごとに、確実にズシンと腹にたまっていくのがわかる。
一般的な寿司では体験できない食べごたえでありながら、味はしっかり寿司としてのおいしさで、ガツンとくる満足感。
「昔の人は、田舎寿司を本当によく食べましたよ。昔は『1.5人前』もあったんです。握りだけで9個も出していたんですけれども、トラック運転手の方など、男性によく食べていただきました」
ちなみに「菜の花寿司」は、50年ほど前から提供している、春の風物詩的メニュー。毎年12~5月に出される。
昔は寿司に菜の花を使う発想はなかったが、もともと当地で、漬物など菜の花を使った料理を食べる習慣があったため、そこから派生したとも言われる。
「菜の花」と聞くと青臭いイメージがあったが、噛むとさっぱりした風味が広がり、口直しにはなかなかだ。
まだ半分もある!
半分食べたところで、ふつうのお店の「寿司ランチ」と同じか、それ以上の満足感がある。まだ半分もあるんだなぁ……幸せが際限なく持続する、この感じ。
極めてパワフル。
この一人前を食べれば、今日はもう何も食べなくてもいいのでは? そう思うぐらいのパワフルさに圧倒される。
シャリとのバランスどうなってるの? 「玉子焼き寿司」
すでに上寿司一人前で相当におなかいっぱいだが、さらに持ってきてくれたのがこれだ。なくなり次第終了の裏メニュー「玉子焼き寿司」(972円、持ち帰りは1080円)。
とんでもない巨大サイズの玉子が主張する寿司。
フライパンの奥に玉子を寄せながら焼く“寄せ焼き”ではなく、こちらは“一枚焼き”で作っている。およそ2キロの大量の生卵を扱うので、1時間もかけて焼く。その間、玉子をひっくり返すのは1回だけだ。焼き上がったら、12等分に切る。
シャリも決して小さくないのだが、まるで大きさのバランスが合わない。
いただくと、かなりの甘さ。中には「ケーキみたい」と評する声もあるほど。印象に残る味だ。しかしイヤな甘さではなく、おなかいっぱいでもむしゃむしゃ食べられる、元気の出る甘さだ。
これ以上なく腹はパンパンになりながらも、最後までおいしくいただけた。ものすごく達成感がある。
これだけパワフルで満足できるお寿司は味わったことがない。「寿司は少しずつ食べるもの」という固定観念がガラガラと音を立てて崩壊した。
腹をペッコペコに減らした漁師たちが、ムッシャムシャと音を立てて食べるのには、これぐらいのド迫力なボリューム感がふさわしかったのであろう。
ウマかった!
田舎寿司は、江戸時代の「大きな寿司」の名残?
冒頭でも書いたが、江戸時代の寿司は、今より格段に大きなものだった。今回いただいた田舎寿司は、やはり当時の名残なのだろうか?
8代目に聞いてみると、
「江戸で発祥した寿司の名残であることを示す、明確な文献は見つかっていません」
と前置きしながらも、こんな考察をしてくれた。
「館山は昔、相当な陸の孤島で、船が外界への頼みの綱でした。鋸山(のこぎりやま)という難所もあったので、陸路でここまでたどり着くのは困難。江戸送り船や、昭和40年代まであった汽船航路のように、海路頼りでした」
「館山の田舎寿司が今も大きなままなのは、交通面からくる閉鎖的な半島性が要因だと推測します。今ですら、館山自動車道等が通行止めになれば、コンビニの食材すら孤立してしまうので」
館山で150年以上も続いている茂八寿司は、今も江戸からの寿司の姿を守っている。
「江戸の頃より受け継いだ、この一見ぶきっちょで大きめな田舎寿司をこれから100年先も『あ~館山にあったよな、また食べに行きたいなぁ』と思いだしていただけるように努めます」
茂八寿司は、東京から車で100分あれば行ける距離にある。漁師のごとく豪快に、昔ながらのデカイ寿司が食いたい! そう思った人はぜひ行ってみてほしい。
見送ってくれた、7代目の正治さん。
紹介したお店
茂八寿司(もはちすし)
TEL:0470-27-2621
営業時間:月~金=11時~14時/17時~19時 土・日・祝=11時~20時(ラストオーダー19時)
定休日:木曜日
URL:https://r.gnavi.co.jp/n0795tss0000/
※掲載された情報は、取材時点のものであり、変更されている可能性があります。
筆者プロフィール
辰井裕紀(たつい・ゆうき)
ローカルネタ・卓球・競馬などが得意のライター。過去に番組リサーチャーとして秘密のケンミンSHOWなどを担当。
Twitter:@pega3
編集:宇内一童(ノオト)