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日本独自の「サッカーの楽しみ方」があってもいいではないか……能田達規はなぜスタジアムグルメの漫画を描くのか

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「みんなのごはん」で大人気連載中の

「ぺろり!スタグル旅」。

千葉のチームを応援するサポーターの女性が

日本全国に遠征しつつスタジアムグルメを食べまくる。

 

作者の能田達規氏は

代表作のひとつである「ORANGE」をはじめとして

出身地・愛媛の愛媛FCのマスコットやポスターも手がける。

サッカーの周辺を取り上げた漫画の多さが特徴だ。

 

広島大学工学部の学生が

いかにして漫画家になったのか。

どんな気持ちを込めてサッカーを題材にし続けるのか。

人気漫画家に話を聞いた。

 

 

日本のサポーターは日本独自のスタイルになってもいい

僕はJ2リーグ見てて、サッカー好きだし、観戦するのはすごく楽しいんですけど、「サッカー見に行ってそんなに面白いか?」って思うときもあるんです。文字どおり塩試合のときとか。で、塩試合、結構な確率であるじゃないですか(笑)。

 

僕は愛媛の松山出身で、愛媛FCのコアなサポーターからも話を聞くんですけど、愛媛から全国回って応援するのはやっぱり大変なんですよ。東京にいる人が全国回るのは結構いけるんですけど、愛媛からだと飛行機だって東京経由になったりする。車でだって愛媛から鳥取に行くってメチャメチャ大変なんで。飛行機で行けないですし。鳥取に行くなら東京からのほうが近いくらい。

 

それでもコアなサポーターは極力全試合を回ろうとしてすごく熱心に応援してて、その熱意で勝った負けたに対してすごく結果にこだわるのはわかるんですけど、その一方で、僕はそういうコアな層はスタジアムに集まる人たち全体に対しての割合としてはそんなには増えないんじゃないかと思ってて。

 

愛媛FCのコアなサポーターは「ゴール裏で声を出す人数を増やしたいんですよ」ってよく言ってるんですけど、ゴール裏で応援の声を出す人ってスタジアムに100人いたら20人ぐらいじゃないですか。その割合を30人、40人にしたいって言ってるけど、僕はそれは無理だよっていう話をしてるんです。僕の考えでは、ゴール裏で声を出す人の人数を2倍に増やしたかったら、スタジアムに集まる全体の人数を2倍にしないといけない。アウェイ遠征するサポーターを増やしたい時も同じ。

 

結局、ホームスタジアムの観客数、母数を増やさないとダメだねって。そうしたら、勝った負けただけじゃなくて、「食べ物おいしいよ」っつってスタジアムに行くサポーターも「アリ」にしないと。元々ゆるいサポーターを熱いサポーターにしようってのは無理があって、声を出す人を増やしたかったらまずいろんなサポーターを集めて母数を増やすことを考えないといけない。このスタグル漫画にはそういう気持ちも込めてます。

 

 

その一方で、日本のサポーターは日本独自のスタイルになってもいいかなと思ってて。特にJ2のサポーターは結構バリエーションが出てきてて、観光目的のサポーターとか、アニメ好きだとか。サッカーの質だけじゃ難しいということで、いろんな工夫を始めてるんですよね。

 

僕みたいなゆるいサポーターはサッカーを応援するためだけに千葉から九州まで行くっていうのは抵抗がある。そんな賭けには出られないですよ。サッカーは相手のある勝負事なので、はるばるアウェイに行ったら惨敗、とんだ塩試合だったみたいなことはよくあるんだから(笑)。サッカーの応援だけではなく一応観光も絡めとかないと。おいしいもの食ったとか、お城に行けたからよかったとか、そういう保険がないと遠くには行けないなというのもこのスタグル漫画には反映させてまして。でも、それが正しい、正しくないじゃなくて、サポーターの一種のあり方、進化形?としてはアリかもしれないなと思って。

 

日本人って海外から来たカレーとかカツレツとかパスタとか、日本流にしちゃうじゃないですか。カレーうどんとかカツ丼とかナポリタンとか。海外の料理を自由にアレンジするのに躊躇ないですよね。「日本化」めちゃくちゃしますよね。もうちょっとオリジナルを大事にする気はないのかって(笑)。

 

そんな感じでサッカー観戦の楽しみ方も日本風にアレンジするときが来てるんじゃないかって。それがスタジアムグルメとか、アウェイ客を過剰にもてなすホームタウンとか、そういう「日本化」の成果として、この漫画もあるんじゃないかと思います。

 

J2のいいところは、全国にチームが散らばってって、本当にその土地の郷土料理や名産品が出てくるとこです。最近ではチームも自治体も、スタジアムを見本市にするくらい頑張ってて、B級グルメ選手権の会場みたいになってる部分もある。その点ではJ2好きとスタジアムグルメ漫画つうのは相性がよかったな、というのはありますね。ただ、逆に困るのは首都圏のクラブ。何が困るって、名物料理ってなんだろう? って。そんなふうに行き詰まったらゲストキャラクターを立てたり、天候の話題なんかで工夫しています。

 

それから、グルメ漫画を書くのはJ2の規模が都合いいんですよ。屋台村を作れるのは、J2の動員数くらいじゃないと難しいと思いますから。3万人集まって屋台村作っても人が多すぎて全部は回れないですよ。だから、文化の多様性を楽しむ意味ではJ2の環境のほうが向いているかもしれないですね。

 

チームやスタジアムの実名を使ってないのには理由があって。実名にしちゃうと、試合日程とか、試合の結果とか、それにはサポーターもこだわりありますし、「この選手はこんなことしない」とか、スタジアムグルメだって、「なんでこれ取り上げてないんだ」とか、たまに怒られますから。自分たちのホームスタジアムの自慢のスタグルが取り上げられないのはショックという人がいるんです。そこで逃げられるのは架空のリーグで架空の話だからって(笑)。話を作る側としては自由度が高まるんです。

 

「君、月刊連載できる?」の一言から3時間睡眠の生活へ

これまでで一番辛かったのは……僕が漫画家になったときですかね。僕は、子どものころからずっと漫画が好きで、うちの母親も漫画好きな人だったので、家の隣に本屋さんができて近所づきあいで本を買おうというとき、ちょうど講談社から出版されだした「手塚治虫全集」を定期購読してくれたんです。

 

僕が小学校2年生のころですかね。毎月4冊ずつぐらい本が送られてきて読んでました。「手塚治虫全集」って、最初200冊出たんですよ。最終的には300冊ぐらい出たと思うんですけど。

 

うちの母親は手塚治虫って「鉄腕アトム」とか「ジャングル大帝」というイメージで買ってるんです。でも全集ですから大人向け漫画も普通に入ってくる。親は手塚治虫の漫画だから安心してるけど、実は小学生がすげぇ大人向けのエログロを読んでいたという。英才教育ですね(笑)。

 

当時は「月刊コロコロコミック」も読んでました。「ドラえもん」がいっぱい載ってる雑誌で、藤子不二雄が好きだったんです。というわけで、子どもの頃から手塚治虫、藤子不二雄が大好きで、世の中で一番偉い人だと思ってて、漫画家になりたいなぁと思ってたんですよ。でもまぁ、僕は割と冷めた人間なので、漫画家ってなかなかなれないだろうなと思って、普通に勉強して広島大学に行ったんです。

 

大学では漫画研究会に入ったんですけど、その漫研がなんか妙に真面目な、お絵描き会とかいうお互いの絵の品評会ばっかりやってる硬派なサークルで。パロディなんかは少なくて、創作系を書いてる人が多くて、ちゃんと定期的に分厚いサークルの漫画雑誌を出すみたいなところでした。先輩には「この世界の片隅に」のこうの史代さんや、「あきら翔ぶ!!」のとだ勝之さん、「屍活師」の杜野亜希さんがいます。

 

僕は今でこそサッカー漫画とか書いていますがもともとは漫画好き、テレビゲーム好きの文化系の人間で、学生時代はゲームばっかりしてました。それで愛読してた「ファミコン通信」(現「ファミ通」)という勢いのある雑誌があって。そこには桜玉吉さん、吉田戦車さん、片山まさゆきさんという僕の好きな系統の漫画家さんたちが書いてらっしゃったんです。

 

あるとき急に「ファミコン通信」が漫画大賞を始めるということで作品募集を始めたんですよ。元々ゲーム雑誌なんで、桜玉吉さんの漫画の形態のカラー4ページぐらいで応募できました。「あ、これは気楽でいいわ」っていう。

 

当時、僕は実家から離れて広島県に住んでて、電話が部屋についてなかったんですよ。固定電話って当時引くのに、権利金が7万円ぐらいかかったんです。で、「なんかこの競争率の低そうな、ゲーム雑誌の漫画賞だったら、お金もらえるんじゃないか」と思って。当時バブルでしたからね、グランプリの賞金が100万円、入選が20万円、佳作が10万円って、結構いい金額でした。

 

「入選ぐらいならいけるかな」と思って応募したら、大賞は該当者なしだったんですけど、入賞して、その中でも一応一番上に載っていて。おかげで、20万円もらって固定電話を取付られたんです。ファックスも付けられたので、東京の編集者と電話で打ち合わせもできるようになって。

 

当時「ファミコン通信」を出してたのはアスキーという会社で、羽振りがよかったんです。それで漫画雑誌も作ろうと言い出して、「月刊アスキーコミック」というのを創刊するんですよ。そのとき漫画家が足りないということで、「君、月刊連載できる?」って話が突然来ました。そのときの実績は「ファミコン通信」にカラー4ページぐらいの作品が2、3回載ったぐらいですよ。で、いきなり連載、白黒で32ページ毎月書けって。

 

その当時、僕、大学4年生で卒論書いてるんです。国立大学工学部の電気系の研究室だったんで、結構真面目に卒論に取り組まないといけなくて。企業から来ている研究員の助手みたいな形で卒論を仕上げていくんですけど。

 

研究室も結構ガッチリしてて、仕事をしないと卒業させないみたいな感じで結構拘束時間が長くて。当時は月曜から土曜まで研究があって、日曜だけ休みだったんです。その生活の中で6月ぐらいに月刊連載が始まるわけです。

 

授業はカッチリ午前中から午後まであって、研究室に拘束されて、夜帰ってきたら8時とか。それに工学部の研究室って割と体育会系で、いきなり研究員に「能田、付き合い悪いぞ。飯食いに行こうぜ」って言われて、ドライブに連れて行かれるんです。

 

その行先が山口県の山奥にあるレストランで、広島大学の学生が免許を取ったら必ず行くようなところなんですけど、車で4時間とか5時間とかかかって。こっちは「また時間が無駄になってる」と思ってるんですけど、言えない。

 

本当に毎日3時間ぐらいしか寝てない感じでずっと書いてて、当時漫研の先輩だった人とかにトーン貼りとか手伝ってもらってました。住んでいたのは東広島市西条というとこなんですけど、冬はすごい寒いんですよね。秋は霧が出るし。こたつに入って漫画書いてて、ベッドに入るとずっと寝ちゃうから座椅子で寝るんです。革ジャン着て座椅子で寝てたら、こたつの上のコップの水が凍ってた。それくらい寒いところでした。

 

当時、工学部は大学院に行くのが当たり前だったんです。僕の研究室は10人ぐらいで僕ともう1人だけが4年で卒業していきました。僕、卒業するまで研究室の人に漫画を連載してるって結局言わなかったんです。言ったら恥ずかしいし、迷惑になると思ってて。その工学部の研究室って教授が就職先とか紹介してくれるところなんですけど、教授から「就職の紹介状どうするんだ」って言われて、「アスキーにコネがあるんでアスキーで働くことにします」って嘘ではないが本当でもない説明をして誤魔化していましたね。

 

ただ、その段階になっても漫画家という職業には不安があったので、必ず卒業しようと頑張りました。普通だったら中退して上京するじゃないですか。でも自分は、漫画家一本でいつまでいられるかなというのがあったんで。親にも卒業だけはしてくれって言われてましたね。親に仕送りもらって下宿もさせてもらってたんで、さすがに卒業しないのはまずいってのがあったんで頑張ったんです。漫画連載と卒論を両方頑張ったから、めちゃくちゃ体力的にはキツかったですね。

 

あの頃がこれまでで一番キツかったですね。体力的にも精神的にも一番追い込まれてたかもしれない。あのときに比べたら楽だなっていつも思いますもん。週刊連載始めたときも、そのときよりは酷くない。まだ週刊のほうがよかった。だって漫画だけ書いてりゃすみますからね。

 

まぁ精神的に辛いって言ったら、人気なくて打ち切りにされるときですけどね。ただ慣れるもんで、一日二日食欲なくなっちゃうんですけど、3日したらすぐ忘れるぐらいになりましたよ(笑)。

 

出版業界は不況ですけど、20年以上漫画家やってて、自分でも結構生き残ってるなってビックリしますけどね。

 

漫画家って限られた人しかそんなに長くやらないですね。僕の場合は、たぶん、作品がすごくヒットして億万長者になってたら辞めてたと思うんですけど、今のところヒット作がないので書かないと食っていけない、ヒット作はないのになぜか次の仕事はあるって感じでなんとなくいい感じで続けさせて頂いてるというか(笑)。

 

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サッカーとは切り離せない「お金」の話

「ORANGE」を書いていたときは、愛媛FCとは関わってなかったんですよ。2002年日韓ワールドカップの前ぐらいですね。まだ愛媛FCはJFLで青いユニフォーム。インターネットも今のような環境ではなくて、クラブのホームページもちゃんとしたものがないような状況でした。愛媛出身者だからといって交流があったわけでもなくて。

 

「ORANGE」は2001年から2003年まで連載していたんですけど、当時愛媛FC事務局に出入りしてた中に「ドカベン」が好きな人がいて、「ドカベン」が掲載されている少年チャンピオンを読んでたら「あれ? 愛媛が舞台のサッカー漫画が始まってるぞ」って。それで当時の事務局長と、当その時住んでいた松戸にあったガンダムカフェで初めてお会いしたんです。

 

当時愛媛FCがJFL3年目のシーズンが終わった2003年末だったと思うんですけど、「なかなか知名度が上がらないし、閉塞感があるんで何かアイデアないですかね?」みたいな相談を受けました。「じゃあマスコットでも作りますかね。選手の似顔絵も描きますよ」って軽く言ったのが今でも続いてるんです。

 

愛媛FCの選手って、最近はそうでもないんですけど、あのころは毎年半分ぐらい変わっていたこともあって、似顔絵書くだけでも大変で(笑)。それを10数年やってますから。キャラクターの「オ〜レ君」(JFL時代の名前は「オレンJ」)を作ったときはまだ青いユニフォームでした。

 

実は2003年に、徳島が突然Jリーグ入りを目ざすって言いだしたんです。県知事が代わって、知事の号令がかかって。同じ時期にザスパ草津(現ザスパクサツ群馬)も鳴り物入りで出てきました。すごい話題で、今のFC今治みたいな雰囲気で。

 

それで2004年はJFLで愛媛と徳島と草津がJリーグ入りを目ざして争うみたいな構図になったんです。すると見事に徳島と草津が上がって愛媛が取り残されました。そういう危機感もあって、翌年には外から望月一仁新監督を呼んで、地元行政もやっと協力的になって。「オ〜レ君」もオレンジユニフォームになって心機一転、頑張ろうって。そういうお付き合いが現在まで続いてます。

 

僕たちみたいなフリーランスの人間と、プロサッカー選手って生活の不安定さでは似たようなもんじゃないですか。しかし、地方ではまだ自営業者として年俸をもらってサッカーをすることの重みを分かってない人たちが多いみたいで。

 

サッカーでお金を稼いでいたら、「趣味の延長じゃない?」ぐらいに思ってたりして。「サッカー選手が経営者や管理職の俺たちより給料をもらってるなんておかしい」って感覚的に思っちゃう人たちがプロスポーツの根付いていない地方にはまだ一定数いるんですよ。

 

しかも「20代の若者が年俸何千万円ももらってるのは県民感情としては応援できない」なんて言っちゃう人に限って、同じ口で「J1目指せ」とか言ってる。そんな理解のない地方で小さいころからサッカーしてた選手は、大きくなったら他の地方に出て行きたくなりますよね。そういう事情もサッカーファンは知っておいた方がおもしろいんじゃないかと思って前作の「マネーフットボール」には投影させてみました。

 

そういう意味でも、チームを予算でランク付けをして試合を観たらおもしろいと思うんですよ。リーグの順位が予算の順番よりも上のチームって、少ない予算で頑張ってるってのがよくわかる。そういう事情も知ってると、地元の貧乏クラブに入った選手にみんな感謝するようになるし、応援するようになるんじゃないかと。

 

 

スタジアムグルメは地方ほどいろいろおいしいものがある

今までこの連載に書いた中で一番おいしかったのは……うーん、たいていおいしいんですけど……僕はビールが好きなんで。ビールには牛串があうかなって。でも牛串一つ取っても米沢牛岡山牛とか飛騨牛とか、それぞれおいしくて甲乙付けがたいんですよ……。

 

愛媛にはいもたきがあるんですけど、山形にも仙台にも同じようないも煮があって、味付けは微妙に違ってたりして、どれもおいしいんですね。郷土料理の話になっちゃうんです。Jリーグのスタグルは。

 

どこのスタジアムも唐揚げは推しですね。甲乙付けがたいなぁという。ただ、この間、讃岐いったときに骨付き鳥があって。スタジアムで売ってるにしては結構いい値段だったんですけど、買ってみたらおいしかったですよ。ひな鳥と親鳥があって、ひな鳥はすごく柔らかかったです。あと、丼物はいろいろみんな工夫してますよね。徳島とか、焼肉載せた丼がおいしい。

 

僕は地方ほどいろいろおいしいものがあると思います。都会のスタグルはなんか、すごく完成度が高いんですけど。地方はそのときしか食べられないものがあったりして。

 

愛媛はマッチシティ、マッチタウンといって、20市町村が割り当てられた試合の日に頑張ってその自治体のおいしいものを出店してるんです。その試合しか食べられないものが結構ある。だからスタジアムに行く度に違うものが食べられると思います。

 

そうなると、漫画も同じスタジアムに何度いっても描けるかな? それにJ2にいる限り、下から上がってきたり、上から落ちてくるチームもあるので新陳代謝がありますからね。ということはこの連載、ずっと続けられますね(笑)。

 

あ、でも…僕は「千葉ユニティ」の早期N1昇格を願ってます!

 

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能田達規 プロフィール

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能田達規(のうだ・たつき)

マンガ家。

『オレンジ』(週刊少年チャンピオン)、『オーレ!』(週刊コミックバンチ)、『マネーフットボール』(週刊漫画TIMES)など国内サッカーリーグを舞台としたマンガを描き続けている。Jリーグ愛媛FCのマスコットデザインなども手掛ける。

他の代表作に『おまかせ! ピース電器店』(週刊少年チャンピオン)など。

Twitter■https://twitter.com/tatsukino

 

『ぺろり!スタグル旅』1巻発売記念イベント開催決定!

トークショー&サイン会&スタグル風フード!!
10月29日13時開演/ロフトプラスワンウエスト(大阪ミナミ)
http://www.loft-prj.co.jp/schedule/west/74226

 

 

取材・文:森雅史(もり・まさふみ)

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佐賀県有田町生まれ、久留米大学附設高校、上智大学出身。多くのサッカー誌編集に関わり、2009年本格的に独立。日本代表の取材で海外に毎年飛んでおり、2011年にはフリーランスのジャーナリストとしては1人だけ朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の日本戦取材を許された。Jリーグ公認の登録フリーランス記者、日本サッカー協会公認C級コーチライセンス保有、日本蹴球合同会社代表。

 

 

 

 

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