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冒険家・植村直己と山に登ったマスターの半生が波乱万丈すぎた!東京・四ツ谷の山小屋酒場「羅無櫓(らむろ)」

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ここに、一枚の写真があります。

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撮影された場所は、剱岳(つるぎだけ)。飛騨山脈北部、立山連峰に位置しており、数多くの登山家が挑んできた危険な山です。

 

剱岳の頂上で撮影されたこの写真には、3名の男性が写っています。手前で座っている男性の名前は植村直己さん。日本人として初めてエベレストに登り、世界で初めて五大陸最高峰を極めるなど、数々の輝かしい実績を残してきた世界を代表する冒険家です。1984年、米国マッキンリーの山中で消息不明となり、43歳で亡くなりました。

 

この写真は、そんな植村直己さんがまだ大学生の頃に撮影された写真なのです。

 

植村直己さんの背後に立っている男性に注目してください。植村直己さんと同じ、明治大学の山岳部メンバーであり、植村さんの一学年下となる末松誠さんです。

 

撮影されてから約50年――。

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末松さんは現在、東京・四ツ谷の飲み屋街、荒木町に佇む老舗の酒場「山小屋酒場 羅無櫓(らむろ)」のご主人をされています。

今回はこの羅無櫓のご主人・末松さんの波乱万丈な人生を、おいしい焼酎をいただきながらご紹介したいと思います。

 

 

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こんばんは。カフェオレ・ライター」というブログをやっているマルコと申します。カフェオレは好きですが、ブログではほとんどグルメ系の記事は書かず、もっぱらBLなどについて語っております。

 

さて、

 

東京、四ツ谷三丁目駅下車、徒歩数分(あるいは曙橋駅下車、徒歩10分)。

都内でも有数の飲み屋街として知られる荒木町へと足を運びました。

 

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大通りから杉大門通りに入り、さらに路地を曲がって柳新道通りへと進みます。初心者だと、この路地の雰囲気にまず気圧されそうになるかもしれませんが、別に怖い場所ではないので大丈夫。

僕も最初は「こんなオトナっぽい路地を歩いてたらつまみ出されるのでは……」と心配になりましたが、どのお店も優しく一見さんを迎えてくれます。

 

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角を曲がって少し歩いたところにある、こちらのお店が「山小屋酒場 羅無櫓(らむろ)」。

 

さあ、入ってみましょう。

 

生まれは終戦の4年前…九州出身のご主人が営む「羅無櫓」

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一歩、足を踏み入れると、そこはまさにお店の名前の通りの「山小屋」でした。

登山でクタクタになって頂上にたどり着き、そこで見つけた山小屋に入ったときの気分はまさにこういう感じではないでしょうか。

暖かい色の照明、落ち着いた風合いのカウンター……木を基調とした店内は外界から完全に遮断されており、入った瞬間から気持ちを山へとトリップさせてくれます。

 

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「いらっしゃい」

 

笑顔で迎えてくれたのは、ご主人の末松さん。

先ほどの写真に写っていたうちの一人で、明治大学山岳部では植村直己さんの後輩として一緒に活動していました。

 

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店内のいたるところに山関係のものが置かれていて、ますます山小屋気分が盛り上がります。

 

「何か飲む?」

 

気さくなご主人の笑顔につられるように、「じゃあおすすめの焼酎を……」と注文。「一緒に何かおつまみもお願いします」と付け加えます。

 

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ふと背後にある壁に目をやると、そこには焼酎がずらり。初心者なので銘柄のことはよくわかりませんが、そのへんのことはご主人に聞くと丁寧に説明してくれます。

 

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それにしても、すごく雰囲気のあるご主人。

もともと東京の生まれなのかなと思って聞いてみると、「九州だよ」とのこと。

九州生まれのご主人が明治大学に入り、山岳部で活躍し、今は羅無櫓で焼酎を出している――。その人生にすごく惹かれるものがあったので、焼酎をいただきながらご主人のことをいろいろと教えてもらいました。

 

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「生まれは昭和16年。終戦の4年前で、当時は正義とか正(ただし)とか、そういう名前が多かったね。それで、僕の名前も誠なの」

 

太平洋戦争が終結する4年前、福岡県八幡市に生まれたご主人。最初の記憶はまさに4歳の頃、空襲警報の音が耳に残っていると言います。

 

「空襲警報は、ウワーって鳴るのと、ゆっくり鳴るのと2種類あったね。おふくろが黒い布を電気の傘にかけて、4歳だった僕は防空頭巾をバッとかぶって防空壕に入る。前の家が焼夷弾が落ちて燃えてしまってね、そんな場面が最初の記憶かな」

 

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ご主人の実家は当時材木を扱う仕事をしており、終戦後には電気関係のビジネスで成功を収めたといいます。

 

「恵まれた生活をしていたと思うね。子どもの頃から毎年、山へスキーをしに行ってたよ」

 

山好きの原点はそういう体験からかもしれませんね。

 

「学生時代の植村さんは目立たなくておとなしい人だったよ」

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ここで最初の焼酎が登場。ご主人おすすめの「萬膳」を前割り燗でいただきます。

 

前割り燗とは、焼酎と水をあらかじめ混ぜておいて数日間寝かせた「前割り」を、飲む前に温めるという飲み方です。羅無櫓ではご主人のこだわりで高尾山の水が使われており、まさに「山の恵みの焼酎」なのです。

 

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ほどよい温度に温めた「萬膳」を黒ヂョカと呼ばれる鉄瓶で出していただき、盃で一杯。

 

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……っくうー! うまい……!

 

焼酎ってこんなに飲みやすくてうまかったのか!

焼酎初心者でも入りやすい、いやむしろ焼酎初心者にこそ飲んでもらいたいこの一杯。何を隠そう、僕が「焼酎っていいな」と思ったのは、羅無櫓で飲んでからなのです。

 

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「萬膳はタンクじゃなく一つひとつ瓶で仕込んでいるのよ。焼酎を飲むことを鹿児島では"だれやめ"っていうんだ。体が疲れることが"だれ"で、それを"やめ"る、つまり体を癒やすために芋焼酎を飲むんだよね」

 

ほぉー、なるほど……。

ほんのり甘くて、それでいてすっきりとクリアで、人肌よりも少し温かいくらいのぬるさが体にスーッと溶け込んでいく。それなりに度数のあるお酒のはずですが、気づくともう一杯、もう一杯と飲み進めてしまいます。

山小屋の雰囲気のせいか、前割りの焼酎の飲みやすさのせいか、ご主人の人柄のせいか……ぜんぶですね!

 

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おつまみでいただいたのは牛すじの煮込み。これがまた絶品。よく煮込まれてとろける牛すじがあっさり系の味付けにぴったり。食べると焼酎が飲みたくなって、焼酎を飲むと牛すじが食べたくなって、止まらんー!

 

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おっと、飲み食いに夢中になってしまいましたが、それからご主人はいつ東京へ?

 

「高校のときはラグビーがやりたかったんだけど、体を作るために体操を始めたの。だけど大学でラグビーやるにはやっぱり体が小さくて無理だったから、一浪して明治大学に入学して、山岳部に入ったのよ」

 

そこで植村直己さんと知り合ったわけですね。

 

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「植村さんは僕の一つ先輩だったけど、当時はぜんぜんすごい感じじゃなかったよ。むしろ目立たない感じでおとなしい人だったね。飲み会にもあまりこなかった。後から知ったけど、アルバイトで忙しかったらしい

 

えー! それは意外。学生時代からスーパーマンだったのかと思っていました。

 

「下級生に対しても威張ったり怒鳴ったりできない優しい人でね。卒業してからすごい人になって、それを聞いてまさか! って思ったね」

 

植村さんと一緒に剱岳の頂上で撮った写真が飾られてますよね。

 

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「そう、二十歳のときだったかな。僕らの頃は冬と春の厳しい時期に剱岳を集中的に登る剱岳長期計画っていうのがあって。他の山にも登ったけど、中心は剱岳だった。一つの山を集中的にやると自信がつくんだよね。どこへ行ったって通用する。剱岳は日本で一番いい山だと僕は思う」

 

だけどね、とご主人は顔を曇らせてつぶやきます。

 

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「マッキンリーで植村さんが亡くなって、山に登る人はそういうのは運じゃないっていうけど、僕はやっぱり山で死ぬかどうかは運だと思う。僕も危ない目には何度もあってるけど、ケガしたことは一度もなかったからね」

 

同じときに同じ青春時代を過ごしたご主人と植村さん。今こうしてご主人が開いたお店で植村さんの話を僕が聞いているというのも、何だか不思議な気がします。

 

九州→和歌山→大阪→千葉…会社員時代が怒涛すぎる

ここで2杯目の黒ヂョカをいただきます。次は「大泉」。

 

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うーん、やっぱり温度が絶妙……! なんだろう、この、人間の体が喜ぶ温度を熟知した感じ! ご主人、慣れた手つきでスッと作ってますが、達人技ですよこれ。

 

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そして一緒にいただくのはポテトサラダ! もう絶対に間違いのない一皿なので、特にコメントはしません!

 

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……それからご主人はどうされたんですか?

 

「僕は卒業後、九州に戻って親父の会社を手伝ったの。鉄の最後のいい時代でね。現場監督として職人をまとめてたね。毎日徹夜に残業、あの頃はかなり遊んだね。ただ、もともと僕はスポーツの世界でやっていきたかったから、仕事はあまり好きじゃなかった。自分で何かをやりたかったの」

 

おっと、急展開

 

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「ちょうどそのとき、高級クラブで今の女房と知り合って、最初は結婚するのを皆に反対されたなあ。親父が持っていたスポーツ店をやらせてくれることになったから、そこを立て直したんだけど、ぜんぜん認めてくれない。もういいやって一切合切やめて九州を出てしまったってわけ」

 

ちょ、ちょ、ちょっとご主人。怒涛すぎる。話の流れが鉄砲水みたいで、展開についていくのがやっとです。

 

「で、35歳のときに女房の弟がいる和歌山の田舎町に住んで、日本で一番大きなペンキの会社に入って現場監督をやることになったの。職人さんが好きだったんだろうね。仕事は面白かったよ。どんどん出世して、今度は大阪へ行って大きな案件を受注して大儲けした。その後、今度は千葉に移って5年くらいいたかな。45、6歳くらいになっていたね」

 

ご主人の半生、ご本人はさらっと流して話してますけど、めちゃくちゃ濃厚すぎです。だんだん、歴史漫画か偉人の伝記を読み聞かされている気になってきた。

 

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ここで3杯目の黒ヂョカいただきます!

 

正直、仕事なのに飲みすぎだろって感じなんですが、やめられない止まらない。すごいよね、前割り焼酎。

「寿」という焼酎を、鰯の煮付けと一緒にいただきます。

 

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もうすっかり焼酎の虜!

 

そして、ここまで真面目に写真を撮ってきたのですが、飲んでる姿はぜんぶ一緒じゃんということに気づいてしまいました。

 

52歳でお店を開いたきっかけは「モツ鍋」

……ところでご主人、ここまでお話を聞いてきましたが、今までに一切飲食店の話が出てこないのが気になってるんですけど。

 

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「うん、飲食業はやったことなかったね。最初のお店を開いたのは52歳のときだったかな」

 

52!? そこから飲食業に初挑戦ですか! すごいパワフルさ。

 

「会社員としてはうまくやっていて、このままいてもそれなりのところまでいけたと思うんだけど、45くらいからかな、このまま俺の人生終わるのかって思い始めたのね。それで、ちょうどそのとき後輩がやっていたソフトウェアの会社を手伝うことにしたんだけど、その会社の子が『モツ鍋が流行ってるから食べに行こう』っていうわけ。世間がモツ鍋ブームだったんだね」

 

へ~! モツ鍋ブームって30年くらい前からだったんですね。

 

「それで銀座のお店に行ったんだけど、九州出身者としては、こんなのモツ鍋じゃねえよって。本当のモツ鍋食わせてやるって、モツ鍋屋を始めることにしたんだ」

 

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いやいや! さらっと言いましたけど、たまたま食べに行ったモツ鍋が本場の味と違っていたから俺がモツ鍋屋やってやる! ってそれ、飲食業未経験者の発想じゃないですよ! 振り切りすぎ!

 

「そしたら千駄ヶ谷に高級フレンチが閉店した跡地があったから、そこでモツ鍋屋を始めたの。モツ鍋ブームだったから忙しかったね。女性のすごさを思い知ったのもその頃だったな。ランチをやってたんだけど、働いてくれていた女性のパワーがすごいなって」

 

普通に成功してるご主人もすごいですけどね……! そのままモツ鍋屋を?

 

「うん、そうしたら山岳部のOBがくるようになってね。僕の故郷は九州だけど、故郷を捨ててきた人間は錦を飾れない。見送られてないからね。だったら故郷は東京だなと。そう思うと、やっぱり自分が青春時代を過ごした山岳部はいいもんだなと思った。卒業以来、山岳部とは距離をおいてたんだけど、それからOB会の理事長やったり、後輩のヒマラヤ遠征をサポートしたり、そういうことをやっていた」

 

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いい話じゃないですか。そのお店は……?

 

「5年くらいやったんだけど、経営が苦しくなってきてね。このままいったら危ないなと思って、パッとやめちゃった」

 

本当に決断と行動が早いですよね……。

 

「2年くらい遊んでたんだけど、だんだん金もなくなってくるし、そうしたら先輩から、いい加減遊んでないで、また皆が遊べるところを作れよって言われてね。やりたくなかったんだけど(笑)、自分も食ってかなきゃいけないし。それで作ったのがこのお店」

 

おおー! そこで羅無櫓につながるんですね! でもどうして荒木町に店舗を?

 

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「学生時代に新宿の柳街ってところによく通ってたんだけど、ここも柳新道通りっていう名前でさ。いいなと思って。縁、なのかな」

 

なるほど、それで焼酎が好きだったから焼酎のお店に……。

 

「いや、焼酎なんて飲んだことなかった」

 

!?!?

 

「山と渓谷社で編集長していたヤツにさ、お酒出すなら何がいいと思うって聞いたら、焼酎だなって。それで酒屋をまわって、信州の飯田におもしろい店を見つけて行ってみたら焼酎がぶわーって並んでてね。これだなと思って」

 

植村直己さんといい山と渓谷社の編集長といい、出てくる登場人物がいちいち豪華ですよね……。改めてご主人がすごい人なんだって実感しましたよ。

 

で、ご主人が好きな山から名前をとって、「山小屋酒場 羅無櫓」に……?

 

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「いや、最初は本格焼酎羅無櫓でやってたんだけど、お客さんが『山っていうのを前面に出した方がいいんじゃないか』って提案してくれてさ、Facebookページを山小屋酒場 羅無櫓って名前で作ってくれたもんだから、じゃあ仕方ねえな、山小屋酒場 羅無櫓でいくかって」

 

Facebook! いきなり最近のトレンドワードが出てきてびっくりですよ。そうだった、今は2017年だった。

 

……にしても、柳新道通りのくだりあたりから、すごくざっくりした話になってきた気がするけど、そういうのもご主人の人柄が呼び寄せる縁ってやつなんですかね。

 

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「羅無櫓は2016年で18年目。あと2018年には20年か。いつまでやるのかねえ」

 

それはもう、いつまでもやってくださいよ。

 

「2021年に僕が80歳で、植村直己生誕80周年なの。そのあたりに大きな計画があるんだよ」

 

いたずらっ子のような顔でニヤリと笑うご主人。さすが、そうこなくては!

 

ご主人の話はまだまだ尽きませんが、僕はそろそろ酔いがまわって気持ちよくなってきました。レポートはこのへんにして、普通に飲むことにしますね!

 

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……え? この話の続き?

 

それはもう、この記事を読んだ皆さん自身が羅無櫓を訪れてご主人に聞いてみてください。

 

時が止まったかのような山小屋の中で、高尾山の澄みきった水で作られた前割り焼酎を飲みながら。

 

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紹介したお店

住所:東京都新宿区荒木町7
TEL:03-3358-9515

 

著者プロフィール

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マルコ
ブログ「カフェオレ・ライター」を2001年より運営。
BL帯の魅力を発信しているうちにいつのまにかBL研究家に。
フリーライターとしても活動中。
ブログ:coffeewriter.com/
Twitter:@cafewriter

 


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